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田村響氏へインタビュー!!!

INTERVIEW

3月31日京都府民ホールアルティ

シューマン/ピアノ五重奏 響氏と

共演します!

3月4日に行われた愛知県豊田市コンサートホールでの本番の前日(田村響アンサンブルシリーズ、『モーツァルトはお好きでしょ?』最終章で、植村、朴、西川が共演させて頂きました)、リハーサル後においしい料理を頂きつつ、語っていただきました。(この日はホールでプログラム全曲のリハーサル、アンコールの準備など、一日中ホールにこもりきりでした。体はへとへとでしたが、音楽からの良いエネルギーをもらい、同じ音楽を集中して目指したこともあり、盛り上がりのひと時でした。)

植村「インタビュー始めさせていただきます。最初は、では、少し話の続きで、、、変態ですか?変態じゃないですか?」

田村「ド変態です!というのは冗談で、自分ではごくごく普通だと思っていますが、思考や捉え方はやはり少し変わっているのかもしれません。」

植村「うんうん。ひとつは、人と違う発想できなきゃいけないというのは、うちらは仕事な訳じゃない。そういう意味では、絶対‘変態’である必要はあるよね。」

変態論ばかり盛り上がりそうだったので

朴「どうするの、これ。変態はやめてください~ホームページに載せられません!」

改めて、、

植村「では、真面目な聞き方で。まず、才能について…。みんな音楽学生も音楽家も凄い努力して、山ほど練習した中でも、才能が大きく花開いて、人を感動させられる音楽家になる人もいれば、ただ単に楽器弾きの領域を超えられない(普通に上手な)人もいるよね。そういう違いとかって田村くんの中ではどう思ってる?」

田村「僕の中で大切にしていることは、一つは宗教心だと思います。僕は生まれながらに両親がクリスチャンだったので、生まれてから毎週日曜日は教会に行っていました。幼いながらに賛美歌を歌っていたそうです。中学と高校の6年間は毎週末に愛知から大阪まで通っていたので、行く機会が減りましたが。小学2年の時に洗礼も受けています。小学生の時から毎年コンクールを受けていますが、普通ならホテルを取ってスタジオを予約して練習するのかな?僕の場合は、母親が教会を探して突然電話して、教会のピアノを弾かせてもらっていました。教会やクリスチャンの知り合いの方のお宅に泊まらせてもらっていました。教会で練習をして牧師に祈ってもらってから、コンクール向かっていました。僕はまだ幼いですから基本的に母親の意思ですね」

田村「コンクール本番前に『ほむべきかな。我が岩である主。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる。』『私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。』という聖書の言葉をよく聞かされていました。審査員に見られている緊張感から、音楽をやる意味、大作曲家を生み出した神に向かって捧げるというような意識を持つことで気持ちを落ち着けていたと思います。宗派は生まれた場所や環境もあるでしょうが、心の中に柱としてあることで助けられたことが多々あります。自分は弱い人間なので、拠り所があることはとても心強いです。」

朴「なるほど。コンクール普通に、勝ち負けだけ気にしながら受けに行くのと違う気持ちになりますね。」

田村「あと、小学1年から4年まで合唱団にも入っていましたね。市内の子しか入れないのに隣の市から母親が頼み込んで入れてもらったそうです。笑

自分の中では、コンクール受けた時に、ただ『うまく弾かなきゃ!』という気持ちよりも、常に神に対しての、こういう何か(上から自分に何かが降ってくるそぶり)を意識していたと思います。つい先日、修士(京都芸大)試験の時に素晴らしい演奏を聴かせてくれた学生がいました。後日講評を聞きに来た時に、あとはそういうことだと思う、って言ったのを思い出します。そのような気持ちを強く持って弾くだけで、出てくる空気感も音も変わってくると信じています。人によって捉え方は違うかもしれないけれど、そういうのがなんかこう、『あぁ、いいな』と心がじんわり温かくなるところだと思います。そうでないと、外見を磨く事に必死になって上手に弾く事だけを目指すことになってしまう危険性がありますよね。結局どんぐりの背比べのようになってしまうのではと。」

植村「そういう意味の宗教心ってよく分かるなぁ。クラシック音楽の起源も宗教から来ている訳だしね。懺悔とか、浄化するとか、救いとか・・」

田村「そうですね。そういう意味で幼い頃から教会音楽に触れる事が出来てとても感謝しています。言葉で内容を話せないうちから雰囲気だけは何となく感じてたつもりです。(音楽と)向き合う時にその様なことは常に感覚としてありました。」

植村「自分の中でも、曲に対しても、いわゆる聖なる所を常に見出せてたってことでしょ?」

田村「そうですね。昔からピアノを弾くとき以外は、あまりクラシック音楽を聴かず、ポップスやイケイケのジャカジャカしたものを聞いたりします。それは、平日は世俗的に普通に過ごして日曜日に教会に行って祈って神聖な気持ちになるという事とちょっと似ていて。日常生活でいけないこともするかもしれないけれど、でも音楽の前にくると、その瞬間教会の中にいて神の存在を意識する感覚になるというか。音を出す瞬間に、そこで洗われます。」

植村「バランスとってるってことかな。一度その聖なる世界に入っちゃうと、一旦普通の世界に戻らないといけない。ってことかな?」

田村「それでバランスとってるのはあると思いますね。」

植村「それ、興味があるのが。例えばね、普通の人は、ちゃんと弾けたら表情つけよう。とか、ある程度弾けるようになったらちょっと音楽的に弾こうって人が多いと思うんだ。だけど、譜読みの段階から、そういう(聖なる世界)のを見出すのか?

田村「最初からだと思います。小さい頃にどのくらい意識していたあまり記憶にないけれど、たった一つの音を出すだけでもその空気に包まれているかのような意識は常にあると思います。」

植村「音楽やってて、宗教的な、神の世界を強く感じた瞬間ってどういう時?コンサートとか、練習中とか、なんでも。」

田村「これは後付けになってしまうかもしれませんが、人生そのものがそうなのかなと思います。

田村「コンクールは人から審査されます。スポーツや点数制など自分で決められる訳じゃないように歩んできた道も自分がこうしたいと願ったことはあまりなく(漠然とはあるが)、中学からの先生、高校進学、留学先など節目の選択肢は全て紹介などでした。ヨーロッパ留学の後もミュンヘンやベルリンなどの選択肢もありましたが、縁あって大阪音大の修士課程に行くことになりました。たくさんの人にびっくりされましたがそれがなければ京都市立芸術大学の専任講師にもなっていないと思いますし、今ここにもいなかったかもしれないですね。結果論になってしまいますが、全て導かれた道なのだと感じています。今は受験シーズンでもあるので、やはりうまくいくいかないを気にする人が多いと思います。もちろん気にして当たり前です。でも、うまくいったからといって人生自体がうまくいくわけではない。そこで失敗(失敗という言葉を使いたくないが)する事によって、悔しい気持ちから初心に戻り、自分のつっぱってた部分などを改めてこうしなきゃいけないな、などと思えた事で人間的に成長できるかもしれない。そうしたらある意味失敗ではなく成功に変化するかもしれませんね。物は捉えようですが、そのようにプラスに変えていくことがとても大切だと思います。でないと生きるのキツいっすね。笑」

植村「大いなるものに導かれる感覚ってのよくわかるな。あとは、目の前の評価だけで自分を決めないっていうね。」

田村「そのように捉えないと、自分が苦しくなってしまうだけですよね。でも、なるようになるからって努力しないだけじゃなくって、それまでは努力し一生懸命取り組む。その後に起こる事柄や結果は今の自分に必要で与えられた道。と捉える事が一番大事ですかね。最善の道が必ず与えられると信じます。」

植村「例えば、自分の中で一番近い作曲家っているの?シンパシーを感じるというか」

田村「特にこの作曲家!というのはありません。自分からその世界に入って行こうとする感覚の中で、なるべく様々な作曲家のエネルギーと一体化できるよう頑張って七変化したいものです。」

植村「フレキシブルなんだね。逆に、苦労した作曲家とかは?」

田村「うーーん。。もし、誰かを挙げるならショパンでしょうか。どう表現して良いのか迷っていた時期がありました。音楽の節やサイクル(様式など)に意識、もしくは捉えられるようになり始めてから楽になってきました。何か自分でやろうとしてしまうのが違ったみたいですね。楽譜に沿って行けば迷うことはないというか。楽譜通りだったんだと今は思います。今思えば昔は変な歌いまわしになってしまったり、雰囲気だけで急に弱くしたりゆっくりしたりしていましたね。でもこれからまた10年くらい経って自分も成長していくと今のことをまた同じように思うのかもしれませんね。笑

貴重な話をお聞かせいただいておりますが、まだまだ続きます!

続きは近日公開予定です!!

お見逃しなく!

2016年第一弾でのコンサートでは、大好評を頂いたブラームスのピアノ五重奏。3月31日には、名曲シューマンのピアノ五重奏を共演いたします。

ケーゲルシュタットトリオ リハーサル

田村響さん(ピアノ)、朴梨恵(ヴィオラ)

イシュトヴァン・コハーンさん(クラリネット)

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